あなたの母になれてお母さん、大丈夫だよ①

2022年08月26日

United:国連障害者権利条約 初回対日審査 in ジュネーブ振り返り


〇まえがき

8/17-8/25まで、ジュネーブにて、国連障害者者権利条約の初回対日審査に参加してきました。わたしは、2017年から、JDF(日本障害フォーラム:全国13の障害者団体の集まり)の「障害者権利条約パラレルレポート特別委員会」の事務局として、この日のために準備を重ねてきました。

今回の対日審査は、国連障害者権利条約に照らして、日本政府がどれくらいちゃんと政策を行っているか、国連の障害者権利委員会(世界中から選出された18人の委員で構成)が日本政府&市民社会(私たち)と対話し、勧告にあたる「総括所見」を出すものです。

「本番」に当たる対日審査。2020年の夏に行われるはずが、コロナ禍で延期を重ね、2022年8月に。オンライン審査になる国も出てくる中、わたしは、「初回審査がオンラインは絶対やだな〜」と祈ってました。一度、2021年に国連の脱施設コンサルテーションにオンラインで参加したのですが、2017年にジュネーブで体験したカナダの対日審査や、2019年にジュネーブで行った事前質問事項採択前のロビーイングで味わった熱量と比べて、オンラインのデメリットを強く感じたからでした。画面オフの委員や参加者たちに向かって、パソコン越しに一生懸命話しかけても、伝わっている気がしませんでした。

そして、海外ではwithコロナが当たり前になってきた今年の8月、権利委員会は対面での審査を再開することに。とても幸運なことに、日本の審査はその枠におさまった。「よかったー!」と思ったけれど、わたしは育休中。息子0歳児。JDFのメーリスで議事録を確認すると、「今回は渡航が厳しそうなメンバー」の中に(DPI曽田)と書いてあった。「行きたかったけど、こればっかりは仕方ないなー」と諦めた。

そんな話を夕飯の時に夫にチラッとしたら、「絶対、いった方がいいよ」と言われた。1週間くらい子どもは俺が見るよ、と。色々迷いましたが、渡航を決意。この一年、子育ては、介助者累計7人、ベビーシッターさん4人(江戸川区は144時間/年無料☆)、よちよち応援隊2人(江戸川区の育児支援制度)にフルサポートして頂いてきました。みなさんに懐いているサネスケを見て、母が1週間くらいいなくても、ニコニコ元気に過ごすだろうと、私の中で信じられたからです。

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スーツケースに入り込む愛犬まるちゃんと、邪魔しにくるサネスケ(もうすぐ1歳)後頭部。申し訳ないけど、きみたちは連れていけないのよ。。。

〇出発〜ジュネーブ到着(8/17-18)

同じマンションに住むSTEPえどがわのトッシーと、福祉タクシーにて、STEP事務所前経由で成田へ。わたしは9月下旬まで本当は育休中なので、ジュネーブ行きが先立つことにSTEPのみんなには申し訳ない気持ちもあったのですが、事務所前にいくと予想外のお見送り人数。コロナ禍で出勤人数制限が続いていたので、久しぶりに賑やかな事務所前でした。手作り横断幕あり、好物ベビースターラーメンまで餞別にいただき、トッシーとしみじみしながら成田へ。

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工藤&曽田@成田出発ゲート前、手作り横断幕を手に。コロナで行けなくなったコーディネーターの魂やら、理事長の魂やらを、詰め込んで、、、

今回、ジュネーブまで、いつも私たちに愛のムチを入れてくれる先人の東さんと一緒でした。東さんとふたりで手荷物検査場まで一緒にエレベーターを降りていると、「自立生活センターの連中も来るよな?」と聞かれた。私が「はい、いっぱいきます」と答えると、東さんは、「よし、1人ずつ聞いてやる。1. ジュネーブに行くあなたの目的は何か? 2. 終わったあと、その目的は何パーセント達成できたか?」と言った。東さんらしいなぁと思った。1.への私の答えはなんだ??と心の中で確認しながら、ゲートへと進みました。

ドバイでは乗継時間が4時間もあったので、そこでも東さんといろんな話をしました。(私が留学していた)フランスのグルノーブルが世界初の低床バリアフリートラムで有名なこと、東さんが視察にいって熊本の路面電車(←母の地元で私が小さい頃よく乗っていた)に取り入れたこと。知らない歴史はまだまだたくさん。同世代で海外視察にいく企画はこれまで参加してきたけれど、今回のように東さんや尾上さんの世代と海外で同じミッションに取り組むのは初めて。成田でも、ジュネーブでも、差別的な扱いを受ければ、尾上さんも、東さんも、怒声をあげていた。同世代とのツアーではあまりなかった光景でした。色々なことを感じた、往路。

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東さんの怒声が響いた障害者用の移動車@ジュネーブ空港

〇市民社会ブリーフィングと建設的対話(8/19-23)

ジュネーブ到着後、本番を含む5日間はまさに「怒涛」でした。自分ができる限りのフルパワーでこんなに頑張ったのは、人生で初めてだったかも、と思います。でも、これからの障害者運動人生において自分の礎となるような、忘れられない瞬間・感情を、たくさん体験させてもらいました。

わたしたちの目的は、より良い総括所見を委員会から引き出し、それをもとに国内の障害者施策を改善すべく運動していくこと。日本の課題を的確に捉えた総括所見を出してもらうには、委員へのわたしたちからの的確なインプットが必要です。日本政府は、書面にしろ、口頭での回答にしろ、課題をとりつくろう回答しかしないのは自明だからです。

インプットの機会は、①19日・22日に委員からの質問を受けての回答(国連議場で市民社会として発言)、②22日及び23日の政府回答に対する市民社会としてのツッコミ(メールや委員を捕まえて)、③JDF及び日弁連の場合は、21日にミヨンさんとラスカスさんという国別報告者(総括所見の起草担当)への個別対面ロビー、がありました。

要は5日間ぶっ続けで、正式・非公式なセッションで口頭発表し、口頭発表にのりきらない部分は書面にまとめて全委員にメールし、特定の条項については関心がある(関連する質問をしてくれた)委員を個別に捕まえて話し、メールし...と、ありとあらゆる手段を使って出来る限りのインプットをし続けました。大変ですが、正念場なので、みんなが全力を尽くしていました。

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通りすがる委員たちを捕まえて脱施設の問題を訴える自立生活センターのメンバーたち。これはものすごくインパクトあったと思います。

口頭発表部分は、わたしが所属するJDFを含め、全7団体が発表できる権利をもっていました。わたしの役割は、この全7団体がひとつになって効果的なロビーができるよう、他団体との連絡調整窓口になること、またJDF内13団体の意見集約窓口になることでした。2つの窓口を兼務していたので、とにかく色々な人と24時間コミュニケーションをとっているような五日間でした。

2019年の事前ロビーイングでは、参加団体間で、ロビーイングの機会が平等ではない、情報が共有されていない、などで少し揉める場面もありました。でも、最後はひとつになれた。そこに私はすごく感動したのでした。だから、成田空港での東さんの、「アナタは何しにジュネーブにいくの?」という問いに勝手に答えるならば、「総括所見が出たあと、一丸となって運動ができるように、『ひとつになる』ための事務局をやる」ということに尽きました。

〇事務局としてのまなび
事務局として各団体と調整するには、その団体の人たちのことをよく知り、応援したいと思う気持ちを心からもつことが大切だと思ってきました。JDF内13団体については、2017年からの積み重ねがあって、自然とできるような気がしていました。他の団体の皆さんについては、ジュネーブではじめまして、の方もたくさんいました。

だから、初日、国連に行くまでの道や、国連内のカフェでみなさんの姿を見つけては、自分からいっぱい挨拶にいきました。特に、障害のあるお子さんたちと、その親御さんたちですね。皆さん、「あ、メールをくれていた曽田さんですね!よろしく!」と笑顔で言ってくれて、わたしもみんなのために頑張ろうと思えました。ジュネーブ行く前まで島根にいたので、山陰中央新報にドカーン!と掲載されていた子どもたちやお母さんたち実物に会えて、素直にうれしかったです。人懐こく話しかけてくれる子どもたちと接していると、この子たちを拒む教育委員会はやっぱり許せないな、とか、次の世代にいい社会を残していきたいな、と、感じさせられました。

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国連まで、初日たまたま一緒に行った他団体のお子さんのうしろ姿@国連トラム駅前の噴水広場にて

19日、日本の市民社会ブリーフィングは12時5分開始。同じ会場で直前の12時まで中国の建設的対話があったため、入れ替え準備の時間は5分しかありません。朝8時半に国連入りし、中国セッションが始まる前に会場チェック、発言予定者の席順などを準備。

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可動できる車いすユーザー用の席がどこにあるかチェック。日本の大傍聴団には車いす席数が足りなかったほどでした。

いよいよ1回目の市民社会ブリーフィング開始。非公開なので詳細は書けませんが、委員からの質問数は約60問を超えました。ここからJDF事務局は、①IDA(国際障害同盟)などの英文メモを参照しつつ委員質問を和訳確定し1-33条の条文順に整理、②の質問和訳確定版を各団体+JDF内に共有し翌20日17時までに回答提出を依頼、③20日17時以降、各団体から集まった回答をもとに22日月曜日の回答者・解答順を調整、④他団体との調整が終わり次第、JDF内の回答最終版を英訳して全委員に送付、という作業をやっていました。

60を超える質問に対し、市民社会側に割り当てられた回答発表時間はわずか37分間。せっかくジュネーブまで来た各団体が、本番で言いたいことを平等に言える時間がもてるように、割当案をみんなで一生懸命考えました。私は事務局会議でまとめた素案を、各団体のみなさんにひたすらご連絡。皆さん了承してくださったので、JDF内の調整と回答準備にとりかかりました。

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予算がないのでibisの大変狭いシングルルームに8人が集まってひたすら作業。コロナ感染なかったのが不思議な三密状態でした。。。

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日曜朝に22日の回答発表者が決定し、そこから進行メモを点字で打ちまくる日視連の田中ノブさん(右)みんなが全力を出していました。

〇29条・個別ロビーの学び

2019年の時、わたしは事務局作業はほぼしておらず、JDFのみんなの言葉をひたすら委員に伝える通訳係がメインでした。そしてJDF内での自分の起草担当条文(29、30、32)についてもロビーイングする機会はありませんでした。19条や24条などJDFとしての優先条項のロビーに時間を割くのが当然だからです。

でも、今回は網羅的に問われる審査本番だったので、29条への質問も出ました。29条は、障害者の政治参加に関するもの。わたしは第2弾のパラレルレポートを起草した時、第1弾ではやらなかったことを2つしました。1つは、公職選挙法の〇条を改正せよ、という条文を名指しした勧告案に書き方を変えたこと。もう1つは、重度障害のある議員が誕生したことを受け、通勤・就労中の重度訪問介護の利用を制限する厚労省通知の撤廃を求める勧告案を明記したこと。27条(雇用労働)だけじゃなく、29条にもどさくさに紛れ込ませるぞ、と意図的にやったことでした。

29条、せっかく質問してもらったので総括所見案に反映させるロビーまでしたかったのですが、いかんせん上記の事務局作業でアップアップ。余裕ゼロ。与えられた口頭発表の場すら一時は諦め、書面回答に回そうとしていました。でも20日の早朝、ここが踏ん張りどころだと自分に喝を入れ、市民社会ブリーフィング時向けの原稿を作りました。振り返って、ここを投げ出さなかったことで、とても良い経験ができました。

29条は建設的対話の2日目で扱われる予定でした。当日23日の朝も、事務局作業をなんとか終え、今から出発時間まで頑張れば、質問をしてくれた委員にギリギリでメールができるかもと思い、厚労省通知撤廃を求めるメールを必死で送付。会場についてその委員の席まで行き、「直前にすみません、今朝メールしたソダです」と伝えると、ちゃんとメールを読んでくれていた。そして、厚労省通知の上位にある法律は総合支援法であっているか、これによって制限を受けているのは議員だけではなく全ての重度障害者で間違いないか、というような的確な確認を受けました。

わたしが一生懸命答えていると、政府の人が後ろから近づいてきて会話を傍受しようとしているのが薄気味悪かったけど、伝えきって席に戻りました。ここから先のロビーについて、私は記録係で全くできなくなるので、DPIで雇用労働担当の岡本さんにお願いをしにいくと、快諾をしてくれました。建設的対話中にモンゴルのゲレル委員が鋭い質問をしてくれ、想定どおり政府が最近始めた使えない制度の説明をしたところで、岡本さんから反論をまとめたLINEが届き→崔さん・尾上さんが加筆→降幡さんが英訳して委員に速攻で送付、ということが一瞬で起きていました。記録係に徹しつつ、そのLINEがピコピコ鳴るのを見て、すごいチームプレイだなぁ・・・と感動していました。

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質問をしてくれたゲレルさん(モンゴル)と最後にパチリ。先輩のみなさまが、DPI北東アジアブロックなどで委員になるような方たちと丁寧に関係性を作ってこられたことも、日本の審査にプラスに働いたと思います。

個別ロビーは圧倒的にJILメンバーの存在感がすごかったですね。先ほど載せた脱施設ポスターロビーもそうですし、ほにゃらの舞ちゃんの委員チェイス力もすごかったです。
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〇みんなの意見を大切にして

口頭発表の方では、JDF内のさまざまな障害種別の団体から出ていた29条への意見を、1分以内にとにかく盛り込みました。原稿をつくりながら、「あぁ、やっぱり私たちの宝物は、パラレルレポートの第一弾の方だったんだなぁ」と思いました。

JDFのレポートは、要点をまとめた簡潔な第二弾レポートに比べ、第一弾は全団体から出た全意見を、どれも落とすことなく盛り込んだもの。29条だと、自閉症の男性が20歳になってはじめて選挙にいったのに、代理投票で介助者付き添いが認められず投票できなかった話。選挙公報や政見放送で、情報保障が任意だから、盲ろう者、聴覚障害者、視覚障害者、みんなが困っている話などが細かく書いてあります。月1回の会議で、みんな、時に顔を真っ赤にして理不尽さを訴えていた。JDFのパラレポ会議に来なければ、知り得なかった課題をたくさん教えてもらいました。

2019年の時に一番心に残ったシーンは、障害認定の問題に関する委員質問に、佐藤久雄先生が難聴者のデシベル問題を例示して答え、それを「すごく嬉しかった」と全難聴の南さんが終了後に涙していたことでした。その場で自分がしたい主張だけに時間を使うよりも、もっと大切なことがある、と教えてもらった気がしたのです。勧告後に、みんなで、運動をしていくために。

だから、本当はポイントを絞った発表にすべきだとわかってはいたけど、どの団体の意見も落とさずに無理矢理一分に詰め込みました。簡潔なメッセージは、あとでいくらでも書面で提出すればいい。これが、やっぱり自分が大切にしたいスタイルなんだと、発表しながら思いました。

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何度も使っております、2019年の集合写真(お気に入り)。

〇キム・ミヨンさん

日本の国別報告者の1人として尽力してくれたミヨンさん。建設的対話は、いつも一番最後に国別報告者による閉会の辞があります。誰も予期していなかったと思うけれど、日本の課題を総括しだしたミヨンさんの声は、後半に入ると震えはじめた。涙をぬぐいながら必死に言葉を紡いでいるミヨンさんをみて、私も泣いてしまいました。みんな泣いていたような気がします。

その箇所を、国連TVの録画での字幕を起こしつつ、訳してみました。涙声で英文字幕自体がない箇所は原文のままにして、訳は補って作りました。あの時のミヨンさんの言葉を、記録として、そのままに残しておきたくてー。


以下引用-------

政府報告と、障害者団体連合や市民社会からの報告に基づく日本の障害者の現状には、大きなギャップがありました。締約国には、このギャップを埋めるように求めます。
We can find the big gap between the national (原文ママ) and the situation of persons with disabilities in Japan according to the federal release from Japan Persons with Disabilities and Civil Society.We urge the State Party to limit this area.

委員会は、総括所見を通じ、条約の完全実施を効果的な方法で行うことを締約国に求めたいと思います。私自身は、委員会からの具体的な勧告によってこそ、締約国は障害者の人権を実現し、生活の質を改善できると信じています。

Our concern is to urge State Party to implement the Convention as a full and find efficient ways to improve through our concluding observations. I believe through such concrete recommendations provided by the Committee, they can implement human rights and improve the quality of life of persons with disabilities. 

閉会の辞の終わりに、締約国である日本は、人生をかけて障害者の権利のために献身する日本の障害者の皆さん、市民団体、障害者の家族たちと協力し、対話を続けるよう、是非お願いします。それが、障害者が認識され、尊重され、尊厳を有し、人権と基本的自由を最大限に享受することを支援する、唯一の方法だからです。
I would like to end my closing remarks by encouraging the state party of Japan to continue to communicate in collaboration with Japan people with disabilities and their civil society organizations and familites who are devote to the rights of persons with disabilities through their lives. it is the only way to suppor the recognition, respect and dignity to the full enjoymernt of Human rights and fundamlental freedoms for persons with disabilities.

締約国である日本は、アジア太平洋地域の障害者の平等と人権における世界のリーダーです。私は、締約国が国連障害者権利条約の完全実施に向けて(・・・)し続けることを望みます。
The state party of Japan is a world leader of that (inaudible) of the UN for equalty and human rights of persons with disabilities in Aisa-Pacific region. I hope the state party wll contunie to-- within by full implementation of CRPD.

最後に、もう一度みなさまからの協力とご支援に感謝します。そして、ここに、またオンラインで参加されている日本の障害者の皆さん・すべての市民団体の皆様に深い感謝の意をお伝えします。気をつけてご帰国されてください。本当にありがとうございました。
I thank you again for all your cooperation and support and would like to aslo share my deep appreciation for Japan people with disabiltieis and all civisl society who are here and online with us. Safe trip home. Thank you so much.

引用終わり-------

ミヨンさんが数年前に来日した際、一番印象的だったのは、ミヨンさんが師と仰ぐ東さんと再会できた時の、ミヨンさんのとっても嬉しそうな顔でした。文字おこしをしてみて初めて、ミヨンさんが涙につまったのは、「人生をかけて障害者の権利のために闘ってきた人たちと、ちゃんと対話してください」と言った場面だったことに気づくことができました。崔さんが、「あれは東さんへのメッセージだったと思う」と言っていたけれど、本当にそうだったのかもしれないですね。

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一日目の建設的対話で、日本政府への第一声で « I am disappointed.(失望しました) » と啖呵を切ったミヨンさん。2日目の建設的対話の途中、たまたま委員席近くにいた私に、「(政府は)全然ちゃんと答えないわね。心配しないで。総括所見に全部盛り込むから、引き続き意見をメールして」と苛立った様子で言ってくれたミヨンさん。降幡さんが夜遅くに英訳が終わったメールを送ったら、「ありがとう。もう遅いからゆっくり休んで」と返信で労ってくれたミヨンさん。気づけば、私はミヨンさんが大好きになっていました。

国連の人権委員会の委員は、アジスアベバなんちゃら協定などで、中立性が求められます。政府寄りでも、障害者団体寄りでも、いけない。でも、ミヨンさんに限らず、委員の皆さんが激務の中で真摯に私たちが提出したレポートを読み、日本の障害者施策の改善に貢献しようとしてくれていることは痛いほど伝わってきた。泣いてしまったミヨンさんは、「あんな委員は全然『中立』じゃないだろ」と、政府側から批判されるだろうか。そんなの、どうでもいいよ、と思った。あの場にいたみんなに、ミヨンさんがどれだけの力をくれたかを考えたらー。鳴り止まなかった私たちからの拍手が、色々なものに耐えているミヨンさんの力になってくれていたらいいな。

〇崔さん
最後に、崔さん。パラレポの仕事を通じて、崔さんは、私にずっと崔さんが大切にしてきたことを伝えようとしてくれていたと思います。JICAを辞めて運動に入ってきた2017年からここまでずっと。

ジュネーブの最後の夜に2時半まで崔さんと2人で話していて、崔さんと別れたあとに、ふと思ったことがありました。それは、私は、崔さんを通じて三澤さんの魂に触れられたのかもしれない、ということ。三澤さんには、私はお会いできなかったけど、崔さんがその代わりに色んなことを教えてくれたんじゃないかなって。「健常者」で「年上男性」の崔さんが私にあれこれ言うのを、特に他団体の人たちは、崔さんのキャラもあって「パワハラ」とふざけ半分によく言っていました。でも、最終日の夜、これまでのことを振り返って涙が止まらない崔さんを見ながら、何度でも三澤さんの話をする崔さんを見ながら、私はそう思ったのでした。ありがとう、崔さん。これは、2017年からのわたしのパラレポ記第一章のおわりに、どうしても書きたかったことです。

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いっしょに頑張る崔さんとわたし

最後は、日本の市民社会みんなで全員集合。みんなすごく、いい笑顔。2019年の時と同じ光景が最後に見られて、このために事務局を頑張ったから、わたしは嬉しくて、またちょっと泣いてしまった。きっと、勧告が出たあと、ひとつになっていい運動ができるはず。

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ぼやけてますが、大傍聴団全員の充実の笑顔です。


同時に、やはり、そこになかったものが何かにも、目を向けないといけないと思いました。わたしは2019年の報告集会で、女性障害者、知的障害者、盲ろう者がいなかったこと、19条の脱施設と24条のインクルーシブ敎育を訴える当事者が少なすぎたこと、などを挙げました。今回、日本の障害者運動がまだできていなかったことは、なんだろう?関心は高かったようで、でも運動の裾野はそこまで広くなかったかもしれない。総括所見がでたあとの運動は、できていなかったことを、できるようにしていきたいな。

9月に良い総括所見が出たら、それは「わたしたち」の成果だと思います。でも、その「わたしたち」は、ジュネーブに行った100数名を指す訳じゃない。色々な事情で渡航を諦めて、国内から支えてくれた人たち。今回のジュネーブでは、条約の起草段階から関わってきた先人の皆さんにもたくさんお会いしました。「わたしたち」の幅は、世代やもろもろを超えて、とても広いことを改めて感じました。

今回のジュネーブで感じたことを活かして、また江戸川で、全国で、一生懸命に障害者運動に取り組みたいなと思います。こんな機会を与えてもらい、本当にありがとうございました。育休からの本格復帰予定は9月末を予定しております。今後とも、どうぞよろしくお願いします。


drecom_voyvoysody at 11:07│Comments(3)障害者運動 

この記事へのコメント

1. Posted by のぼりぐち みちこ   2022年08月30日 15:23
5 初めまして。知人のFacebookから来ました。障害者権利条約の対日審査について、私は動画で見ていました。現状とは異なる日本政府の報告に危機感を持ったのと同時に、権利委員の方々の真意をつく質問に、感謝では語りきれない救われた気持ちにさせてくれました。

力が入るあまり、私のことをお伝えするのが、遅くなってしまいましたが、私は生まれつき脳性麻痺で、ヘルパーを利用しながら活動しています。体調と日々の生活と、気持ちとで障害者運動に力を入れたい気持ちと、うまくできていない自分にいつも葛藤してきました。でーそ日記を読んで、特に今回の記事を読んだことをきっかけに、「障害者団体が一つになれた」ということが、文章を読んでいるだけでも感動しました。審査の舞台裏で、権利委員会の方々と対話を密にされたこと、パラレルレポート(まとめるのが本当に大変だったと思います)が今の障害当事者の現状をしっかりと伝えていること、9月からが改善に向けての本番であることなど、大切なことをブログで伝えてくださいました。

私も、実はブログを長く書いており、今回の審査でいっそう私のお尻に火がつきました。私は日々の生活でいっぱいいっぱいだったところが多かったのですが、誰かがどこかでできる限りのことをしていると思えたら、私も頑張ろうと思いました。

本当にありがとうございます。
また今後ともどこかで繋がれると嬉しいです。
2. Posted by そだ   2022年08月31日 21:00
のぼりぐち みきこ さま

コメントありがとうございます。このようなコメントをいただけただけでも、記事を書いてみてよかったなぁと思いました。

9月に総括所見が出たあと、ぜひいっしょに何かできたらうれしいですね。私も自分にできることは何か葛藤の日々なので、それぞれの得意なことをいかして想いをいっしょに運動していけたらいいなぁと思います。

直接お会いできる日を楽しみにしています。メッセージありがとうございました!
3. Posted by のぼりぐち みちこ   2022年09月01日 16:25
そださま

こちらこそコメントありがとうございました。はい、9月の総括所見が出るのを楽しみにしています。曽田さんのブログ記事をご紹介させていただきました。私のブログのページをお知らせいたします。http://michikowheels.jpn.org/

9月1日の記事ですので、よろしければご覧いただけると幸いです。メッセージ、ありがとうございました。

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