2012年05月23日
余興隊員
こちらにきて、初めて人前で三線を弾きました。
本日は、州内42の町の障害者リーダーとMSWDO(町福祉事務所)の担当者が勢揃いする、
イロイロ州障害者連合の年次総会。
イロイロ州障害者連合の年次総会。
だいぶ前にボスから、「総会のランチタイムにオキナワのギター弾いてよ。」と言われ、
「州事務所がOKなら、いいですよ~」と快諾したものの、それ以来話がないので、
オジャンになったと思ってました。
オジャンになったと思ってました。
前日夜。ピッピッ、とテキストが届きました。ボスからでした。
「リマインドだけど、明日ギターもってきてね。」
驚いて、「え、本気ですか・・・(-_-;)?」と弱気のテキストを送ると、
いつも通りの、あたたかいメッセージが戻ってきた。
ADP-Iは、君のことをとっても誇りに思っているんだよ。
他の障害者リーダーたちにも、日本から来たボランティアを紹介したいんだ。
やってみます、がんばります、ありがとう。。。と返信して、調弦にとりかかりました。
当日は、「安里屋ユンタ」で手拍子をもらったあと、
「こどもを宝物にする、南の島フィリピンにぴったりだと思ったから・・・」と紹介して、
「芭蕉布」と「童神(わらびがみ)」を弾きました。
衣装はもちろん、沖縄時代の思い出が詰まった、かりゆしです。

チキン曽田。顔は強張り、手は震え・・・というお決まりの状態になりまして・・・
でも、歌と踊りが大好きなフィリピンの皆さんがヤンヤヤンヤと喜んでくれたおかげで、
緊張も次第に解けました。
緊張も次第に解けました。
この総会では、着任以来カウンターパートと頑張って作っていたアンケートを配ることもできました。
このアンケート集計をもとに、州内の各DPO(障害当事者団体)の状況を評価・分析、
7月までにDPO強化に関するプロジェクトプロポーザルをつくる予定です。
7月までにDPO強化に関するプロジェクトプロポーザルをつくる予定です。

でも、アンケート配布後、みんなの机を廻って記入状況を覗いてみると、完全にペンが止まってしまっています。
(やばい・・・やっぱり質問が難しすぎたのかな・・・)
(初めてのことだし、そのままにしておいて、今回の教訓を次に活かす方がいいのかな・・・)
と頭の中で悩みつつも、
と頭の中で悩みつつも、
「みんな記入の仕方がわからなくて、ちょっと困っているみたい・・・」と、現状だけ同僚に伝えてみました。
「まぁ、大丈夫よ。」と言われたので、「そうだね、少しずつでいいよね。」と言って、席に戻りました。
ところが10分後、気付くと同僚が再び前に出て、「ごめんなさい、もう少し説明しますね。」と、
記入方法の説明をはじめてくれていた。
記入方法の説明をはじめてくれていた。
この作業、嫌々やっていたらどうしよう・・・と勝手に不安になっていた日々は数え切れぬほどあったので、
とてもうれしかったです。
とてもうれしかったです。

今日の嬉しい気持ちも全部、周りから、与えてもらったものばかりだったなぁ。
三線、やっぱりたのしかったです。
みなさんのおかげで、私は本日も元気でございます。
にーふぁいゆー

みなさんのおかげで、私は本日も元気でございます。
にーふぁいゆー

2012年05月20日
隊員総会
を終えてイロイロに戻りました。
総会では、フィリピン国内の隊員がマニラに集まり、活動状況をシェアします。
とっても、よかったです。
赴任2ヶ月半というタイミングで、約20名の先輩隊員の中間報告、帰国報告を聞けたこと。
いっぱい感動し、考えさせられ、
とにかく、イロイロ帰ったら、私もねじ巻き直して頑張ろうと思いました。無理なく、ですね。
分科会も、とっても勉強になりました。
今、同じパナイ島に障害分野の隊員さんがいっぱいいるので、
みんなで助け合って、少しでもこの地域の障害者支援のあり方をよくしていく、
そんな活動もできたらいいな、きっとできるんじゃないかな、ということも強く感じました。
昨日は、同じ任地のソーシャルワーカー先輩隊員さんと、マニラからイロイロまで。
上記、未来のチーム活動(?)について妄想をふくらませながら楽しく帰り、
バッチョイ(イロイロ名物ラーメン)を食べ、
「イロイロでよかったね~しあわせや~」と語り、
懐かしの我が家へ無事到着。
ホストファミリーは、
夕飯に私の大好物であるシニガン・パサヤン(えびの入った酸味のあるスープ)を用意してくれていました。
夕飯に私の大好物であるシニガン・パサヤン(えびの入った酸味のあるスープ)を用意してくれていました。
そして、ごはんが始まるや否や、「マニラで足は痛くならなかった?」と、真っ先に身体を気遣ってくれました。
ごはんのあとの団欒。何かで「ワハハ~」と笑いがおこったあと、
"Mas maayo nga ari ka diri, Natsuki." (ナツキがいる方がやっぱりいいよ。)
と、同僚であり、ホストブラザーであるマーク兄が、ぽつっと、そう言ってくれた。
ありがとう。
私も、おうちが、イロイロが、やっぱりいいよ。
総会のおかげで、よい形で3ヶ月目に突入できそうです。
今後、形になってない(あはは・・・)普段の活動の様子も、少しずつ書いていけたらと思います。
【おまけ】
最近、ホームステイ先のお手伝いさんたちと、ごはん一緒に作ってます。
お手伝いさんといっても、彼らはまだティーンエイジャー。
農村部の貧しい家庭から、住み込みで我が家に働きにきています。
働き者で、優しく明るい、本当に尊敬できる妹&弟たちです。

※我が家の台所。ガスはないのですが、炭火焼の魚を毎日食べられます。

※使えない日本人、アテ(=姉)・ナツキ。渡されたうちわで、火をあおってます。
もーえろよ、もーえーろー

※犬6匹、猫4匹、ハト2匹。ムツゴロウ王国の我が家に、待望の子ねこ誕生です。
「あの子が欲しい・・・」と、控えめにおねだりしたところ、手前のトラ柄の子を養育することに。
名前は、「トラえもん」です。どうぞよろしく。うふふ。
2012年05月15日
しあわせのYellow Rice
先週末は股関節の調子が悪く、2日ほど寝たきりでした。
いろんな予定を、やむを得ず、「ごめんなさい」とドタキャンしてしまいました。
その中でも、とても貧しい家庭で、「母の日」を一緒にお祝いする約束。
断らざるを得なかったのは、心情的にとても辛いものがありました。
「ナツキ、イロイロの料理を教えてあげるから、朝早くからおいでね。」と言ってくれていた、
障害児を持つ、シングルマザーのお母さんの優しい笑顔が浮かびました。
安静のおかげで痛みも消え、気を入れ直して出勤した月曜日。
同僚と朝のおしゃべりをしていると、
入口から、「ハロー」の声。
「もう、痛みは大丈夫?」
私を気遣って、そのお母さんが、わざわざ事務所に来てくれていた。
本当に、びっくりした。
近寄って、昨日行けなかったことを詫びる私に、
「いいから、いいから」と、笑顔でビニール袋を差し出してくれた。
「本当にありがとう・・・。これ、なぁに?」と聞くと、
「ナツキが昨日食べられなかった、バレンシアナだよ。」とのこと。
取り出してみると、カレーピラフのような、綺麗なごはんがでてきました。
「あなたのYellow Riceだから。また今度、遊びにきてね。」
ほんとうに、嬉しかった。
伝えたいありがとうのイロンゴ語が、口の中で絡まって、うまく出てきませんでした。
痛くて、嫌な思いもしたけれど。
その代わり、本当にたくさんの優しさを受けて、私は生かされている。
イロイロの人たちから学ばせてもらっていること、受けた優しさを、
日々、私ができる方法で、一生懸命、丁寧に、返していくだけ。
今から隊員総会のため、土曜日まで首都マニラです。
元気でね、イロイロ。私も、元気にいってきます。
2012年04月28日
ピア・ボランティア 世界へ ~ピアとしての障害者の国際協力~
JICAボランティアになった障害者9名が、それぞれの経験を綴った本が4/25に出版されました。
私は、母が倒れた19歳から、27歳で協力隊に合格するまでのことを書きました。


久野研二 編著 現代書館
執筆のお話をいただいた時、
執筆業を生業とする父が、きっと一番喜んでくれるなぁ、と、とても嬉しかった。
そして、その時々に私を支えてくれたみんなへの、感謝の気持ちが詰まった原稿にしようと、思いました。
沖縄の自室で、書いては消し、書いては消し、を繰り返していた昨年の冬を、懐かしく思い出します。
みんなが、これまで、どんな風に私を支えてくれたのか。
途上国で出会った障害者が、どんな風に私を変えてくれたのか。
その経験を通じて、「人を支える」、特に「障害者を支える」、ということについて、
執筆のお話をいただいた時、
執筆業を生業とする父が、きっと一番喜んでくれるなぁ、と、とても嬉しかった。
そして、その時々に私を支えてくれたみんなへの、感謝の気持ちが詰まった原稿にしようと、思いました。
沖縄の自室で、書いては消し、書いては消し、を繰り返していた昨年の冬を、懐かしく思い出します。
みんなが、これまで、どんな風に私を支えてくれたのか。
途上国で出会った障害者が、どんな風に私を変えてくれたのか。
その経験を通じて、「人を支える」、特に「障害者を支える」、ということについて、
私が大切にしたいなと思っていること、を書きました。
私は、自分の経験から、
私は、自分の経験から、
傍で支えてくれる人がいれば、
誰でもきっと、前に進める、這いあがれる、と
信じるようになりました。
今度は私も、他の誰かを支えていきたいから、
誰でもきっと、前に進める、這いあがれる、と
信じるようになりました。
今度は私も、他の誰かを支えていきたいから、
人を支える作法、応援する作法を、
ここフィリピンでもう一度学んでいきたいなと、思っています。
ここフィリピンでもう一度学んでいきたいなと、思っています。
それは、誰にでも適用できる手法やノウハウではなくて、
私が向き合うひとり、ひとりに対して、紡ぎあげていくべき、
やはり、「作法」なのではないかと、思います。
日本の障害当事者たちが、JICAボランティアの経験を通じて考えた、「支援」の作法。
執筆者みんなで、初稿~最終稿まで、MLで互いの原稿を読み合い、意見を交換しました。
派遣前だった私は、先輩ピア・ボランティアの皆さんの原稿を読み、考え方に触れ、
たくさん勉強させていただきました。
そして何より、「私も先輩たちに続きたいな・・・」と、すごく勇気づけられました。
だから、
世界を見てみたいな・・・と思っている、障害を持つ次の世代の子たちが、この本を手にとって、
新しい世界へ、一歩を踏み出すきっかけになってくれたら、とても嬉しいです。
目標と、感謝の気持ちさえ忘れなければ、今日も、明日も、元気な私。
これからも、歩むべき道を、歩んでゆけますように。
2012年04月24日
2ヶ月間ありがとう
赴任して約2カ月。
お父さんのように慕っていた大好きな代表、直属の上司が、交替することになりました。
年次総会での、とっても民主的な選挙の結果です。
彼に対する批判を耳にすることは、ありました。
でも、大好きな上司であり、とても尊敬できる障害者リーダーでした。
彼は、仕事が終わったあと、毎日職場の前で、ろう者や車いすのメンバーと、楽しそうに飲んでいました。
私はその風景が大好きで、私もその一部になりたくて、いつも混ぜてもらっていました。
年次総会の前日、彼は、職場の前で「代表」が毎日他のメンバーと飲んでいること、
他の障害者リーダーたちから面と向かって批判されちゃったよ、と、話してくれました。
酔っぱらいながら、彼は、こう言いました。
"But I love them...Plus, if you do not know what is on their mind, how can you serve them...?"
(でも、僕は彼らが大好きなんだ。
それに、彼らが考えていることを知らないで、彼らのために働くことなんてできないでしょう・・・?)
シンプルな言葉に、仲間への愛情と、組織の長としての真摯さが、あふれていました。
「モーニングモォーニーーーング!」
大きな声で、にこにこ笑いながら私のデスクまで車いすで一直線。
「Kamusta, Natsuki? (元気かな、ナツキ?)」
そういって、私のほっぺに欠かさず毎朝キスをしてくれた代表の愛情に、
赴任当初もそのあとの毎日も、私の心は、どれだけ助けられていたんだろう、と思います。
先週金曜日は新旧代表の交替式だったので、1週間ぶりに彼に会うことができました。
ランチは隣同士で座って、おバカな冗談を言い合って、「ギャハハ!」と笑ってハイタッチ。
その後、私は新メンバーによる初理事会に呼びいれられ、終わって外に出ると、もう彼はいませんでした。
でも、短いテキストが届いていました。
"Natsuki naguna na lng ko. Pasensya wala ko ka lisinsya sa imo. Pls help adpi."
(ナツキ、何も言わずに先に帰っちゃってごめんね。ADP-Iを支えて下さい。)
もちろんです、新しい代表とスタッフのみんなと、がんばりますね・・・と、強く思いました。
自然に、携帯を、ぎゅっと、握ってしまった。
感謝の気持ちは、代表が大切にしていたものを大切にすることで、表せたらいいな。
考えないといけない難しい課題は、いっぱいある。
でもまずは私も、優しい表情、優しい仕草で、愛情を運ぶことからできたらと、思います。
先週は、船で15分のギマラス島へ。
有名なマンゴー祭(Manggahan)とあわせ、マンゴー島の障害者による歌&踊りのコンテストがありました。

マンゴーもいっぱい持って帰りました。

でもまずは私も、優しい表情、優しい仕草で、愛情を運ぶことからできたらと、思います。
先週は、船で15分のギマラス島へ。
有名なマンゴー祭(Manggahan)とあわせ、マンゴー島の障害者による歌&踊りのコンテストがありました。

マンゴーもいっぱい持って帰りました。

2012年04月15日
S-I-G-N
イロイロ身体障害者協会で働き始めてから、日々のおしゃべりの中で、手話を覚えてます。
毎日毎日ろうのメンバーと一緒にいるので、
彼らとおしゃべりをしたければ、イロンゴ語と同様、使えるように私が努力するべき言語、ということになります。
フィリピンでは、アメリカ手話(American Sign Language:ASL)と、
フィリピン手話(Filipino Sign Language:FSL)が、使われています。
フィリピン手話(Filipino Sign Language:FSL)が、使われています。
また、イロイロのろう者の中だけで通じる手話も存在すると聞きました。
(日本でも、「方言」にあたるような、都道府県ごとの手話が存在するのと同じかな、と思います。)
ただ、米統治の歴史も反映し、教育現場ではASLが教えられているため、基本はASLです。
仕事が終わる5時ごろ、職場前はろう者のしゃべり場になっているので、
"H""I"とやって、手話がバンバン飛び交う輪の中に、エイヤーと入ってゆきます。
最初はとっても勇気がいりました。
外に出たものの笑顔で「バイバイ~」と素通りし、「あーやっぱ勇気がでなかったわ。。。」という日も、いっぱいありました。
でも、みんな優しく笑顔で付き合ってくれるので、心臓がキュッとなることなく、今は自然に話しかけられるようになりました。
私はみんなのスピードには当然全くついていけないため、
私が現れると、顔見知りのおじちゃんかお兄さんが、私のスピードにあわせて、1対1で話しかけてくれます。
知らない言葉は、アルファベットで、1文字ずつ綴ります。
たとえば、V-O-L-U-N-T-E-E-Rと綴ると、彼らは「あぁ、まだその単語は知らないんだね」と理解してくれ、
肩の袖をつまんでみせ、これが"VOLUNTEER"だよ、とやってくれます。
「こーう?」と、彼らがしてくれた手話を繰り返すと、「そうそう」と優しく頷いてくれます。
こんな感じで、毎日、少しずつ、覚えています。
紙に書いたり携帯のテキストで打ってしまうこともできるけど、彼らの言葉を尊重し、学ぶ姿勢は、大切にしたい。
障害分野に携わりつつも、私は、今まで、ろう者の友達はひとりもいませんでした。
それは、私が、手話ができなかったから。
ここにきて、改めてそう思いました。
私の赴任と同じタイミングで、ADP-IのCanteenで働きはじめた18歳の女の子がいます。
強い眼差しと、静かで優しい表情に、いつも、本当にハッとさせられる子です。
知り合って約2カ月たった昨日、お金がなくて学校を中退したことを、初めて聞きました。
そうだったんだ・・・と、ただ、そう思いました。
"Canteen""Work""How"?(「食堂での仕事はどう?」)と聞いてみると、
彼女は、ほほえみを浮かべて、"Enjoy""Happy""Of course"と返してくれました。
私は、"Yes""Yes""Understand"と、表情を付けて返すのが、精一杯でした。
社会の壁は、彼らにとって、時に、どれくらい厚いんだろう。
足は多少悪くても、大学を卒業して、好きな仕事に就く機会を与えられた私には、わからない厚みがある。
彼らは、スーパースローな手話しかできない私に、
こんなに根気強く付き合ってくれて、仲間に入れてくれる、ふところを、持っている。
なのに、彼らを社会の中に仲間として受け容れるふところを、私たちは持っていない。持とうとしていない。
手話だけの輪の中に飛び込み、「何をしゃべっているのか全然わからない」という逆の立場に立たされて初めて、
そんなことを思いました。
そんなことを思いました。
穏やかで、幸せな風景の中に、厳しい現実もある。
見れていなかったものを、見にきている。
感じられていなかったことを、感じにきている。
2012年04月10日
しあわせな連休
フィリピンは、ホーリーウィークのため昨日まで5連休でした。
フィリピンに来て3カ月、イロイロに来て1カ月強。
お休みをもらってはじめて、とってもホッとしている自分に気づきました。
なんだかんだ、気を張って頑張っていたんだなぁ~~きっと。
Good Friday。Jaroの街を練り歩くProcessionに、配属先のみんなと参加してきました。
フィリピンの人たちは本当に神様を愛しているんだなぁ、と、とっても強く感じた聖週間。
フィリピンの人たちは本当に神様を愛しているんだなぁ、と、とっても強く感じた聖週間。
巡回先の村人に誘われて、海で1日中遊んだ日もありました。そうです、私、南の島隊員でした。
「村で一番綺麗なおばさまはどなたです~?」とカメラを向けた時の一コマ。

イロイロで過ごした、5日間のお休み。
イロイロの、よいところ。
一緒に働く人たちの、素敵なところ。
リラックスした心で、再発見できた、しあわせな連休でした。
少しずつ、少しずつ、何かを積み重ねている実感が、私を支えてくれている気がします。
また、次の3カ月へ。
もう一度、ありのままの私で、スロースタートをきれたらいいな。
少しずつ、少しずつ、何かを積み重ねている実感が、私を支えてくれている気がします。
また、次の3カ月へ。
もう一度、ありのままの私で、スロースタートをきれたらいいな。
2012年04月01日
シェアする仲間
「人生で一番悲しかったことと、一番嬉しかったことについて、話して下さい。」
土曜日、配属先の会員のうち約50名が教会横のホールに集まり、
一緒に心を整える"Recollection"というイベントがありました。
私は、ADP-Iの協同組合(Multi Purpose Cooperative)で働いているという初対面のおじちゃんと、
上記のペアワークをすることになりました。
"Ikaw anay...(先に君から・・・)"
"Indi ikaw anay...(いやいや、あなたから・・・)"
お互い恥ずかしがりつつ、人生で一番悲しかったこと、嬉しかったことを、シェアしました。
一番悲しかったこと。
おじちゃんは、貧乏で困りきっていた時に、さらに事故で片腕を失ってしまい、小さい娘もいるのにね・・・辛くてたくさん泣いたよ、
と話してくれました。
と話してくれました。
私も、母のことがあり、続けざまに足の病気がわかり、辛くてたくさん泣いたよ、ちょっと似てるね、と話しました。
一番嬉しかったこと。
おじちゃんは、ADP-Iと出会い、同じ障害を持つ仲間の助言のおかげで希望を持てたことを、教えてくれました。
私も、途上国の障害者と出会ったことで、希望を持って生きていこうと思えた時が一番嬉しかったかなぁ・・・、と、話しました。
言わなかったけど、やっぱりちょっと似ているね、と、心の中で思いました。
"Salamat sa pagshare(シェアしてくれてありがとう)"
伝えたかったので、おじちゃんの目を見てそういうと、「へっへっへ・・・」と、照れていました。
ADP-Iファミリー。
親戚の集まりのような、あたたかで、にぎやかな、会でした。
親戚の集まりのような、あたたかで、にぎやかな、会でした。
「集まるかなぁ」と心配していたADP-Iのスタッフたちは、
予想以上に多くの仲間が、遠くの町からも、たくさん来てくれたことが、本当に本当に嬉しかったらしく、
男性陣は昼の2時から職場前でウィスキーを飲み続け、「ハッピー!ハッピー!」とご機嫌でした。
私も、ADP-Iが、多くの障害者を勇気付けてきたこと、感じることができて、とても嬉しかったです。
設立22年。その歴史、関わってきた人々、敬意を払うべきものだと、改めて思いました。
仲間、家族、信仰が、彼らを支えているんだなぁと全身で感じた、よい土曜日でした。
彼らが大切にしているものを、私も大切にしたいと思います。
Semana Santa(ホーリーウィーク)に入りました。今日は「パームサンデー」。
朝5時起きでみんなとミサへ。しゅろの葉っぱを一緒にふってきましたよ~
2012年03月30日
手ぶらボランティア
「で、あなたは何ができるの?」
協力隊になってから、私個人に投げかけられるようになった、お決まりの質問。
専門技術がない文系「プログラムオフィサー」の私は、いつも、
自分でも「苦しいなぁ・・・」と思う受け答えをしている。
昨日も、外勤先でひとりの方から、同じ質問が飛んできました。
しどろもどろな私の答えに対し、
「そうじゃなくて、何の専門技術があるの?」と、さらに突っ込みが入る始末。
隣にいた私の上司が、間髪いれずに、助け舟を出してくれた。
「彼女は、今やっているCBRプログラムの担当オフィサーだよ。
自分たちの今までの経験と、ナツキの経験を合わせたら、もっといいものになると思うんだ。」
あぁ・・・と、思いました。
JOCVのナツキではなく、ADP-Iのナツキとしてなら、
できることは、たくさんあるのだろうなぁ、と。
専門技術がないからこそ、
配属先の、チームの一員として、打席に入らせてもらわないといけない。
一緒に働くのは、「オーナーシップを育てることが大事だから」と、幾度も聞いてきました。
でも、組織を背負わず、ひとりの個人としてここに立たされた時、
その考え方が、はじめて、ひとつの「おごり」のように、感じました。
一緒に働くのは、彼らがいなければ、
ここで私は、それこそ「本当に」何もできなくなってしまうから。
ADP-Iに身を置かせてもらっていることで、
「専門技術が無い」ことはもちろん、
「イロイロのことをよく知らない」
「関係者とのネットワークを持っていない」
などなど、仕事をする上で致命的な私の弱みは、確実に薄められています。
そして、私をかばってくれたボスの言葉どおり、
お互いの強みを引き出しあえる可能性もまた、生まれているのでしょう。
私は、専門技術も、資金もない、手ぶらのボランティア。
でも、同僚たちは、
「ナツキはADP-IのAdopted Child(養子)だね」と笑って、かわいがってくれます。
異国の地で、こんなにもあたたかな巣を与えてもらっている。
日記を見れば、まだ赴任38日目。
謙虚さと、感謝の気持ちを、今一度。

雨の中、はじめての村巡回(おととい)

雨の中、はじめての村巡回(おととい)
2012年03月25日
車いすビクス
「ナツキ、太るよ・・・。」
同僚やホストファミリーの呟きが気になる今日この頃。
1日5食(おやつ2回)、水替わりのコーラ、という食生活に順応してしまったものの、
股関節への負担に直接つながる体重増加は、禁忌事項。
・・・
というわけで、エアロビクス、始めました。
上記の食習慣により、生活習慣病が国民的問題となっているフィリピン。
イロイロでも、"TAEBO(タイボ)"と呼ばれるエアロビクス教室が、
市保健課のイニシアティブにより開催されています。
市保健課のイニシアティブにより開催されています。
1時間の無料TAEBO教室の開催場所は、奇しくも職場裏の広場。
仕事後、いつものように職場前の植え込みでダラダラおしゃべりをしていると、
ろうの女性メンバーたちが、「TAEBOに行くよ!」とはりきってます。
「ナツキも車いすに乗ってやれば、できるんじゃない?」というメンバーの助言もあり、参加してみることに。
ガイジン。車いす。二重の視線に耐えられず、緊張気味のソダさん。
諸々の事情はどうでもよくなり、すっかりノッてきたソダさん。
(撮影:私のTAEBO参加になぜか大喜びのイロイロ友人。)
音が聞こえなくても、参加する。
飛んだり跳ねたりできなくても、参加する。
私も、石垣トライアスロンへのスイム参加やら、車いすマラソンやら、
今の自分でもできる形を見つけて、チャレンジしてきました。
でも、彼らはもっと自然体で、肩の力を抜いて、楽しんで、参加しているように感じます。
自分の未熟ながむしゃら感を否定する訳ではなく、ただただ、
彼らのあり方が、より素敵な姿、未来そうありたい姿として、私の眼に映ります。
「ナツキ、too much セリョオーソ(まじめ)はよくないよ。エンジョイ、エンジョイ。」
イロイロの同僚やホストファミリーは、いつも私にこう言います。
私は、ここで学ぶことがたくさんあると、感じています。


























